【独立混成第80旅団(ハイラル)鋭鋒】
1944年(昭和20年)4月
各種部隊
司令部…大阪
独立歩兵大隊…大阪・和歌山
旅団砲兵隊…信太山
旅団工兵隊…大槻
旅団通信隊…大阪
旅団輜重隊…境
を集成して編成し、ハイラルでソ連の大軍と
壮絶な攻防戦を展開。
【独立混成旅団】
戦史を調べると、独立重戦車大隊とか独立混成旅団などのように、しばしば独立部隊が登場する。
では、この独立とは何か。
通常、独立と呼ばれる部隊は、師団に所属しない事を意味する。基本的に大隊や旅団は師団に属する部隊である。
しかし中には、兵器の性能や部隊の性質上、師団に含めるのは適当でないものもある。
例えば独逸の重戦車ティーガーは機甲師団で使用するには起動力が低い為、師団から外し、大隊単位で使用された。重戦車大隊は西へ東へと戦略的に移動させられ、必要に応じ師団の能力を臨時に向上さる事になった。
野戦では出番のない攻城砲なども、師団から外し、要塞攻略など特別な場合に独立砲兵大隊などの形で投入される。後方守備などでは、師団ほどの兵力は必要とせず、砲兵火力も少なくて良いことがある。こうした場合、師団より小形の部隊を使用した方が適当なため、師団に所属しない旅団や連隊を作ることもある。
例えば日本軍では、中国戦線での守備用に独立混成旅団を編成している。
【シベリア周辺地図】
【シベリア抑留】
第二次世界大戦末期に行なわれたソビエト連邦の満州への侵入によって生じた日本人捕虜(民間人を含む)が、長期間シベリアに強制抑留された。樺太などで捕虜となった旧日本軍将兵や在満州民間人など、約60万人がシベリアに抑留され、過酷な環境下で強制労働に従事させられた。
シベリア抑留において全体の1割に当たる6万人(グラスノスチ後、発見された資料によると、約40万人とも)もの死者を出したという。日本人については最後の捕虜がいまだ日本に帰還していないとのことである。冷戦終結後、ロシア側から収容所・墓地の所在地リストが日本政府に手渡されたことに基づき、厚生省(現・厚生労働省)や民間の遺族団体などによって、毎年夏季に現地で抑留中死亡者の遺骨収集事業が進められている。
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