鈴木氏の海外の映画祭にも出品しましたよねとの質問に松井監督は
ベルリンの知り合いがこの映画を知り、ベルリン映画祭事務局に掛け合い、上映が出来る様になった。上映の際のドイツ語翻訳からフィルム代までその知り合いが資金を出してくれたのでベルリン映画祭に出品・上映が出来た。ベルリンで映画を観たアメリカ人女性から「英語版を作って欲しい、自分が訳すから」と強い要望があり、帰国してからも念押しのファックスが送られ、今度は自費で英語版を作成した。(後にこの女性は宮崎駿作品等をアメリカで上映に携わっていたことが判明)
この時期、 ベルリン映画祭の影響で海外での上映オファーも幾つかあった。
質問:オープニングの8月15日靖国神社の映像から 証言(本編)へと続く映像はどういう意図があるのでしょうか?
松井監督:靖国神社は日本の中で戦争があったということを日常の中で人に見せることができるのが靖国神社しかない。
特に8月15日(終戦日)は遺族などの様々な人が集まる。中には軍服を着た人もいる。外国のメディアの目につくのがそういった軍服を着た人らでよく撮影されている。
ともかく、普通の人は行かないのだけれども、戦争の成否を問わずに、戦争があったことが解るのが靖国神社。演出上のテクニックでもあるが。
鈴木氏:靖国神社で軍服を着た人を見て、外国の人は「また日本は戦争しようしているのでは?」と誤解されるのでは?終戦日はコスプレ禁止にしましょうよ。(場内笑)
ギュウゾウ氏:皆何かがあるからここに来ている。ここに来ている人は何かしら戦争について考えを持っているとは思いますが、例えば去年沖縄戦のドラマが放映されたがあれは酷かった。事実とは全然違うので頭にきた。(すぐさま松井監督もあれは嫌で嫌で仕方なかったと同意する)しかし一般世間ではテレビ局のホームページには「あのドラマに感動した。」等の絶賛の投書が掲載されているのを見て嫌になった。赤い月はましだったが。世間的にまだ戦争(戦場)が認知されていない…。
あと、ノモンハンの戦争資料館に行って見たときはキツかった。面白かったのだが…。
鈴木氏: 中国の軍事裁判記録の映像がもっと見たかった。(松井監督いわく、3時間強現存しているとの事)兵士が涙ながらに告白しているところや、裁判が進行していく様子。中国人の証言など。囚人に対してキチンと衣食住を与え、反省文を書かせ寛大な判決が多く、日本へ帰させたのは、当時の中国はこれから世界の中で新国家を立ち上げようとしてそれを国際的に認められようと無理・背伸びをしたのでは。それは良い事だと思います。日本だって明治のころは野蛮な国ではない、西洋に侮られてはいけないと、野蛮な国ではないのだと背伸びをしたから、背伸びがなかったら国家としてはダメなのでは。
松井監督:この作品で、日本が悪かった、悪いことをしたという印象・ニュアンスをお持ちになったと思いますが、事実は事実ですからね。確かにあったのだけれども兵士の全部が全部酷かったという訳ではない。世の中には様々な人間がいるのだから。米国でも、英国でも多少の事はあったとは思います。しかし、あの20世紀という時代にですね、人を並べて首を切ったり、捕虜にああいう事をしたって国は無いでしょう。…きついことを言われると逃げる・嫌なのでしょう。でも一回我慢してみて下さい。
質問:映像に朝日新聞の紙面が効果的に使われています。初め見た時は証言に夢中で記事を読むゆとりがありませんでしたが今回改めて記事を読むと当時のマスコミの報道、新聞社の責任が大きいという、監督の思い、指摘が込められているのでしょうか?
松井監督: 良い所に気づいてくれました。正にそうです。映像で流す為、皆そこまで注意し紙面の記事まで見てはくれませんがね。
撫順の会の女性: 私たちは中帰連の方の意思を受け継ぎ戦争を語り繋ぐ活動をしています。撫順で裁判を受け収容所で人間として扱われほとんど咎めも無く帰された彼らは、何故自分が生かされ、帰されたのかを考え、それは反戦の思いから自らの戦争経験を語る。生かされたことの意義とは命の限り、戦争体験を語り、戦争を知らない世代に再び戦争を繰り返えさせないという使命感を持って語り続けています。
松井監督:日本鬼子はドキュメンタリーではなく記録映画である
(終)