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【2005.07.12】 鈴木邦男連続トークシリーズin TRIK-STER 「日本鬼子を知っていますか?」
映画「日本鬼子」特別短縮版ビデオ上映会鈴木邦男vs松井稔(「日本鬼子」監督)トークライブレポート

  戦場体験放映保存の会発足後、組織・活動方針作りに困惑しながらも、不戦兵士・市民の会、朝風の会といった老兵士団体と出会い、支援・協力を得ながら、やみくもに「戦場からの証言」の取材に追われていた。そんな時期、トリックスター元老院O氏より元日本軍兵士の証言を集めたドキュメンタリー映画「日本鬼子」を薦められ、監督松井稔氏がパンフレットで鈴木邦男氏と対談をしていた事を教えて頂いた。その事を鈴木氏に聞いてみると快く、「日本鬼子」ビデオテープと松井監督の連絡先を教えて下さいました。 恥ずかしながら小生は「日本鬼子」を知らなかった。
早速、事務所にてスタッフ数人と鑑賞。それまで自分らも幾つかの兵士の証言を取材し多少の免疫があるつもり映画でしたが観終わった後のショックはあまりにも大きすぎました。
この映画(証言)を多くの人に観てもらいたい、知って欲しいという衝動に駆られ。鈴木氏、松井監督の協力の基、トリックスターでの上映会イベントの企画は進行。そしてイベント当日を迎えることが出来ました。

映画を観るにあたって…

松井監督は語る。
「人間の酷い部分を掘り起こし、見る事。テレビではそういった辛い、醜い部分を全て隠してしまう。
 一回、人間は極限状態でどこまでいくのかを知れば本当の優しい人間になれる。」
戦後、生きながらえながら戦場での行為の総括をしてきた元兵士らの姿を目の当たりし、2年間にも及ぶ取材中に数々の証言を肌で聞き取った監督の言葉には言いようの無い重みと力強さが感じられる。

上映途中に音声コード接触不良が発生…

急遽鈴木氏と松井監督のトークに切り替わる事に。
鈴木氏「天皇の軍隊という事を利用して全てを正当化しようとしていた?それまでは普通の魚屋さんだったり、農民だったりした普通の人たちが戦場に送られ、極限状態で弱いものをいじめる事に楽しみを見出し(全ての兵ではないが)、また中国人民を殺せるという立場を利用していたとも思える…」人間の持つ弱さに対して厳しい一言。
「何故ビデオ・DVD化にならず、テレビでも放映しないのか?」との会場からの質問に監督は
「テレビではやらないだけ。天皇・日本軍についてはなおさら。国際裁判にもなっているし、テレビでやっても「中国の満州に行って…」 そこから口パクとナレーションで誤魔化される。(テレビの都合、それで事実は歪められる)
証言の中にある銃剣で中国人を殺す場面で銃剣の扱い方を言う場面は殺人の手引きとなる理由で放送が出来ない。時間の制限、右翼の抗議等局側が保守的になり、作りたいものが作れない、企画さえ通らない。
ビデオ化については、できれば小さなブラウン管ではなく、薄暗い大きなスクリーンで覚悟して観てもらいたい。たまに上映会を開催するが主催者側に資金がある場合、無料で上映会を開催する。たまに私も呼ばれて行くのだが、タダで観ているということで平気で途中退場したり、観ていて気分が悪いと文句を言われた事がある。気分の良くなる内容ではない。料金を払えば人はキチンと観ようとする意思を持つ。そういう観る側の覚悟を持って観てもらいたい。」
 続いて松井監督は、南京大虐殺についても大事なのは数字ではなく実際に起こった事実であり、現在の南京大虐殺についての犠牲者数字論争はおかしい。また、出所が確かではない、検証しきらず、根拠のない写真を、南京大虐殺写真展として展示し、開催している平和系団体に以前「確実な事実認証も出来ていない、出所も怪しい写真を史実の証拠として掲示するのはやめたほうが良いですよ」と言ったことがある。
従軍慰安婦の証言もあったが、あえて出さなかった。当時は確かな証拠がなく、見つけられなかった。安易に責任の負いきれない映像を出しす事は出来なかった。

上映終了後のディスカッションにて






 
会場に電撃ネットワークのギュウゾウ氏は上映後に「重かった。父と祖母が満州からの引揚げ者だが、当時の事を話したことが無い。余程怖い思いを経験したと思うのだが話さない。」と感想を述べた。

 偏ったものの見方では歴史は伝わらない。兵士の証言で「強姦をしました」 は良いが、どういう状況でこうやって強姦した、殺したとの具体的な説明が続かないときちんと伝わらない。現在のマスコミは悪影響だからという前置きをして報道をしない。(報道内容の責任回避か?)松井監督も鈴木氏も声を揃えて語る。

質問:「日本鬼子」を作ろうとした原点は?また、衝動に駆られたきっかけは?
松井監督:自分のやりたい事、テレビやドラマもやったけど、やりたいと思う企画は流された。そして50を過ぎてから何か自分の中で納得出来るものを撮らなければと思った。
「日本鬼子」を作る7年前。テレビで小島さんという元兵士についての番組を やろうかなぁと思って小島さんの話を聞いてショックを受けた。夏の暑い日。一人でカメラを担いできたのを駅まで迎えに来てくれて、一対一で面と向かって話をしてくれました。「テレビ番組でやりますよ」と別れ際に言ったものの企画は断られて、ある日、朝日新聞で中帰連(中国帰還者連絡会)の記事に小島さんの事が書いてあり、戦争体験を語り継ぐ活動を続けていると知り、書店で中帰連の機関誌を買って読みました。しかしその時、小島さんがすでに故人となっていたのを知り、だからこれは作らなければ、2000年・20世紀の区切りとして。そんな衝動があった。彼の事を7年間やらなかったことで気になって仕方が無かった。もう、テレビでやる事は逃げだと思った。」

 映画が完成し、上映会で中帰連の後継団体「撫順の奇跡を受け継ぐ会」の若い人達と出会い、中帰連高齢化が進み、戦争を語り繋ぐ運動の存続するため、世代交代があり、全国的な展開を続けている事を知る。
このイベント会場にも撫順の奇跡を受け継ぐ会の女性の方が来場していた。

鈴木氏の海外の映画祭にも出品しましたよねとの質問に松井監督は
ベルリンの知り合いがこの映画を知り、ベルリン映画祭事務局に掛け合い、上映が出来る様になった。上映の際のドイツ語翻訳からフィルム代までその知り合いが資金を出してくれたのでベルリン映画祭に出品・上映が出来た。ベルリンで映画を観たアメリカ人女性から「英語版を作って欲しい、自分が訳すから」と強い要望があり、帰国してからも念押しのファックスが送られ、今度は自費で英語版を作成した。(後にこの女性は宮崎駿作品等をアメリカで上映に携わっていたことが判明)
この時期、 ベルリン映画祭の影響で海外での上映オファーも幾つかあった。

質問:オープニングの8月15日靖国神社の映像から 証言(本編)へと続く映像はどういう意図があるのでしょうか?
松井監督:靖国神社は日本の中で戦争があったということを日常の中で人に見せることができるのが靖国神社しかない。
特に8月15日(終戦日)は遺族などの様々な人が集まる。中には軍服を着た人もいる。外国のメディアの目につくのがそういった軍服を着た人らでよく撮影されている。
ともかく、普通の人は行かないのだけれども、戦争の成否を問わずに、戦争があったことが解るのが靖国神社。演出上のテクニックでもあるが。
鈴木氏:靖国神社で軍服を着た人を見て、外国の人は「また日本は戦争しようしているのでは?」と誤解されるのでは?終戦日はコスプレ禁止にしましょうよ。(場内笑)
ギュウゾウ氏:皆何かがあるからここに来ている。ここに来ている人は何かしら戦争について考えを持っているとは思いますが、例えば去年沖縄戦のドラマが放映されたがあれは酷かった。事実とは全然違うので頭にきた。(すぐさま松井監督もあれは嫌で嫌で仕方なかったと同意する)しかし一般世間ではテレビ局のホームページには「あのドラマに感動した。」等の絶賛の投書が掲載されているのを見て嫌になった。赤い月はましだったが。世間的にまだ戦争(戦場)が認知されていない…。
あと、ノモンハンの戦争資料館に行って見たときはキツかった。面白かったのだが…。

鈴木氏: 中国の軍事裁判記録の映像がもっと見たかった。(松井監督いわく、3時間強現存しているとの事)兵士が涙ながらに告白しているところや、裁判が進行していく様子。中国人の証言など。囚人に対してキチンと衣食住を与え、反省文を書かせ寛大な判決が多く、日本へ帰させたのは、当時の中国はこれから世界の中で新国家を立ち上げようとしてそれを国際的に認められようと無理・背伸びをしたのでは。それは良い事だと思います。日本だって明治のころは野蛮な国ではない、西洋に侮られてはいけないと、野蛮な国ではないのだと背伸びをしたから、背伸びがなかったら国家としてはダメなのでは。

松井監督:この作品で、日本が悪かった、悪いことをしたという印象・ニュアンスをお持ちになったと思いますが、事実は事実ですからね。確かにあったのだけれども兵士の全部が全部酷かったという訳ではない。世の中には様々な人間がいるのだから。米国でも、英国でも多少の事はあったとは思います。しかし、あの20世紀という時代にですね、人を並べて首を切ったり、捕虜にああいう事をしたって国は無いでしょう。…きついことを言われると逃げる・嫌なのでしょう。でも一回我慢してみて下さい。

質問:映像に朝日新聞の紙面が効果的に使われています。初め見た時は証言に夢中で記事を読むゆとりがありませんでしたが今回改めて記事を読むと当時のマスコミの報道、新聞社の責任が大きいという、監督の思い、指摘が込められているのでしょうか?
松井監督: 良い所に気づいてくれました。正にそうです。映像で流す為、皆そこまで注意し紙面の記事まで見てはくれませんがね。

撫順の会の女性: 私たちは中帰連の方の意思を受け継ぎ戦争を語り繋ぐ活動をしています。撫順で裁判を受け収容所で人間として扱われほとんど咎めも無く帰された彼らは、何故自分が生かされ、帰されたのかを考え、それは反戦の思いから自らの戦争経験を語る。生かされたことの意義とは命の限り、戦争体験を語り、戦争を知らない世代に再び戦争を繰り返えさせないという使命感を持って語り続けています。


松井監督:
日本鬼子はドキュメンタリーではなく記録映画である
(終)



会場は満席。鈴木さんのイベントでは最高の集客であったと杉浦社長が教えて下さり、当方もまさかあそこまで満員になるとは予想も出来ず、嬉しい誤算でありました。

改めてご来場くださった多くの方々と、企画を快く承諾・協力してくださった鈴木氏、会場を提供してくださったトリックスター社、何よりも海のもの、山のものとも解らぬ私達の話に耳を傾け、イベント出演どころか映画の再編集までかってでていただき、並々ならぬ労力を注ぎ込んで下さった松井監督。今回のイベント携わった全ての皆様に深い感謝の意を捧げます。誠にありがとうございました。


慣れぬイベント準備に不備があり多くの来場者に声をかけることも出来ず至らぬ点がございましたことをお詫び申し上げます。
次回は当会オリジナル「戦場からの証言」上映会&証言者とのディスカッションのイベントを開催したいと思う所存でございます。いえ、思うのではなく開催致します。その節はまたのご来場をお待ちしております。今回来られなかった方も次回は是非、足をお運び下さい。

2005年7月15日(金)
戦場体験放映保存の会事務局


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