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メールマガジン「このサイトは革命だ!」 毎週末更新
NHK記者、国会議員として半世紀、岸信介から小泉まで渡りあってきた上田哲が現役ジャーナリストとして、話題のテーマに違った視点を加えます。

vol.138◆◆◆◆近時 片々◆◆◆◆

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今週もメルマガフルバージョン 〜vol.137 ◆◆◆近時 片々◆◆ 
                                                        05.06.08配信〜

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◆近時 片々◆             
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 ◆◇無沙汰のお詫び◆◇◆◇◆

 暫くご無沙汰してしまった。これをお詫びしたい。
言い訳を言えば、「戦場体験保存運動」の胸突き八丁で、余裕がなかった。このほうは
まだヤマ場で、苦闘が続くが、もう少ししたらご報告する展望が開けるかもしれない。
それにつけても資金がほしい。電車賃も渡せないではボランティアに気の毒だ。
どうせ金持ちはケチだろうが、中小企業のおとっつぁん!老兵士の証言残しに侠気の
カンパをくれないか。どこにでも頭を下げに行くぞ!


 ◆◇ロッキード事件◆◇◆◇◆

 じつはもう一つの言い訳は、パソコンが壊れてしまった。
もう四ヶ月、「反権力からの戦後軍拡史(仮称)」の執筆を進めているが、2回もパソコンが壊れた。
特に2回目は決定的で全て消えた。もうだめだと思っていたが、NECの機械のマザー
ボード損傷とわかった。最新技術も恐いものだ。

 そこまでは良かったのだが、止まったところが悪かった。
ロッキード事件を書いていた。考え込んでしまった。
私は当時、ロッキード事件調査特別委員長だった。この事件と軍拡とはどう係わるか。
戦後最強の首相田中角栄は軍拡史からみれば最大の役割ではない。しかし、この戦後
最大の構造汚職は、反権力の立場からすれば最も象徴的な衝突の場であった。
相手はNHKを政府の広報機関としか思っていないから、137万署名運動をやって
天下り会長を阻止したり、財政投融資を返して言論の自由を掲げ権力から独立する言論
機関を言うNHKは放っておけない。その元凶は上田哲だ。私は集中砲火を浴びた。
 パターンは決まっていた。まず、週刊新潮、週刊文春がでっち上げスキャンダルの
口火を切る。それを自民党が取り上げて国会で名指しの追及をする。
結局いくら叩いても、髪の毛一本、何の違法性もないことを証明することになるのだが
これは露骨で激しい。覚悟を決めて踏ん張るしかない。
 その個人攻撃と合わせて、制度で押さえ込もうとする。「NHK調査委員会」を設置
したり、受信料義務化法案を出して受信料値上げや会長再選と抱き合わせを迫る。
NHKは頭を下げるだけ。
反権力の闘いは決意や抽象論では済まないのだ。
 ついには5年もしてから、NHKの「ニュースセンター九時」で「ロッキード事件」
の放送3時間前、“田中派直属”の島報道局長の横車で番組が不当にカットされた。
現場の記者達はこぞって抗議し10日に及ぶ抗議集会の末、報道局長は非を認めたが、
返す刀で記者達に同調した整理部長、政治部長、社会部長、通信部長らと多くの記者を
配転した。あまりのことに会長に抗議に行った組合の委員長らにNHK会長は雲隠れ。
委員長らはそのまま会長室で4日間、ハンストをした。

 大騒動になった。
NHKの会長室がハンストで4日間も占拠されたのに、目の前で見ているNHK詰めの
記者達は何も書かなかった。
書いたのは「上田派、一斉更迭」(読売)だ。
どこに“上田派”などがあるか。私はすでにNHKも組合もを離れていた。
島氏は間もなく会長になった。
こうした事実は、ほとんど誰にも知られず、消えていく。
私は今回のNHK不祥事に一切の取材に応じず、口を開かずに来た。去ったNHKや
組合のことを訳知り気に言うのは美学に反する。
それに今の組合は私の時のそれとは別種だ。
それにしても、この著書でロッキード事件は避けては通れない。
どこまで書くか、私は腕を組んだ。
だから、ほかのことは書けなかった。
でも、そこは越えた。とてもここには要約できない。


 ◆◇ちょっぴり◆◇◆◇◆

 嬉しいこともある。
Eメールで京都大学の医学部の人から「根絶」を読んで感激した。これを広めていいか
と照会があった。むろん、歓迎だ。
富山の書店から「根絶」の復刻の話を聞いたがもう出たのか、という問い合わせ。
昔の友人から、「じつは根絶を10冊持っている。どこかで有効に使ってほしい」との
こと。
繋がる話はこうして繋がる。どこかに流れが出来つつあるのかも知れない。
平山さんが若い医学者の名簿をつくってくれている。アフガニスタンやイラクの戦争で
遅れているが、2008年までのポリオ世界根絶までには出版できるだろう。
それにしても、国会のひどさはどうだ。

                                   了

XXX◆お知らせ◆XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
  
◎おかげさまで「戦場体験放映保存の会」は5月14日総会を開催、
 多くの文字通り老若男女にお集まり頂き新しいスタートとなりました。
  これを期に「戦場体験放映保存の会」の活動予定や各地のステーション情報を
  満載した『戦場ネット・メール通信』を発行開始致しました。
  ご購読をご希望の方は senjyou@notnet.jpまでご連絡下さい。
 また活動の情報は、「ブログ◎撮る!観る!探す!戦場体験」でもご覧頂けます。
  http://blogs.yahoo.co.jp/station_hozonkai

◎新番組「戦場からの生き残り証言・佐藤貞さん」
    「  〃     谷口末廣さん 前編」を配信開始しております。
 ◆佐藤貞さんは、昭和19年応召、第40師団無線通信隊。
   朝鮮羅南で教育を受け、
   南京、漢口、武昌、広東と南下、江門で反転し南昌まで来て敗戦。
   中国人苦力(クーリー)、兵隊の自殺など話して下さいました。
   敗戦後捕虜使役中、ご飯を食べさせてくれる中国のお婆さん達の話が、
   印象的です。
 ◆谷口末廣さんは 
   1942年1月現役兵として入隊(22歳)。
   関東軍10師団輜重10連隊、満州・佳木斯(じゃむす)に駐屯。
   1944年6月、中隊長とのトラブルが原因で、
   フィリピン・ミンダナオ島第133飛行場大隊補給中隊に転属。
   弾も食料も尽き山岳ジャングルを彷徨われたお話は本当に酷いものでした。
   ミンダナオの日本兵生存情報の真偽が賑やかでしたが、
   その様な状況を生んだ背景が本当に良く分かるお話でした。
   4時間にわたる証言を編集した中から、今回は前編ー大隊解散までの公開です。
    (後編は、いよいよ6人でジャングルを彷徨、45年9月に投降されるまで
     近日配信開始致しますのでお待ち下さい。)

               番組の視聴は → http://www.notnet.jp/ へ

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