1.変貌への不安と不信 |
日本を日本人が疑っている。
いま、圧倒的な国民が抱く深い不安と不信は、これまでになく重く異質なものである。
変貌は、長い尺度で見なければならないが、少なくとも1945年の敗戦以来、戦後民主主義と言われた価値観がその根幹を転換されようとしていることと、その流れを多く人々が察知している点で、封建制や軍国主義の時代とは異なるのだ。徳川、明治以来の権力統治に初めて別な歴史を見るかも知れない。
この半世紀は、戦前の全体主義に反して個の尊重を、独占集中を排して総中流意識と膨大な中間層を産み出した期間だった。その日本が今や二分化社会に急変しつつある。総中流意識の崩壊は明らかで、取り残された旧中間層は先行きの不安に肩をすぼめている。
デフレの時も、ようやくそれを抜けたと言われる今も、サラリーマンの給与は6年連続減り続け、中小企業の倒産や年3万人の自殺と失業率は改善されない。
メガバンクの大合併とか、六本木、汐留、品川の巨大ビルの林立の一方で、国民年金への未納者が4割に達する現状はこの国の未来保障が絶望視されている表示である。
この乖離と亀裂に危機感を強める権力は一気に国家主義強権化をめざしている。
このままでいいか。 |
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2.三つの権力 |
私たちはそれを、政界、財界、マスコミ界の複合権力体制の支配と見る。
政治不信の深さはこれまでにない。
政界の腐敗は目を覆うばかりだ。日歯連から1億円の小切手を手渡された橋本元首相や同席した野中、青木の鉄面皮は言うをまたないが自民党の国民政治協会を通じての25議員への迂回献金の事実さえ検察は追及できないと言う。なんとも国民からは遠い世界だ。
しかし、その遠い世界で進められてきた強権体制の確立はもはや殆ど別な日本を形成しつつある。
政治改革を逆手に取った政党は、ついに差別極まりない小選挙区制を導入し、国会議席の9割を超える自・公・民の総与党体制を掌中にした。大量の世襲議員は顕著な結果である。総与党体制は偽装の2大政党制を唱えながら、1000兆円の赤字財政を尻目に、ついに長いタブーの有事法制を成立させ、海外派兵の途を固めた。戦後の日本の平和原則を根本的に転換する改憲日程も現実となった。
財界がこんなに政治に口を出すのは「軍財抱合」と言われた戦前以上だ。今や日本経団連の奥田碩会長は11年ぶりの禁を破って自民、民主への大企業献金を奨励し、独禁法の改正に待ったを掛け、武器輸出3原則の解禁を求め、消費税16%の社会を実現せよと迫る。同友会も改憲を提案した。経団連も負けじと提唱する。
マスコミは批判精神を喪失し幹部は政権のブレーンに名を連ね、プロ野球の経営やサマ−ワの広報機関となり果てた。近頃テレビ司会者の迎合ぶりを見よ。国会ではまともに答えぬ大臣も競って日曜日朝のチョウチン番組に出たがる。
今や第一情報源のテレビのワイドショーは口当たりの良い2,30人の常連タレントで管理体制下の情報を切り売りし、市井にはその口移し世論が横行する。
今、世論といわれているものは「政界、財界、マスコミ界」の3者複合権力構造の吹き鳴らす山びこにすぎないと言い切りたい。 |
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3.拮抗力 |
私たちは現状に失望しているのではない。
たしかに危機感は深い。特権側にない私たちは、歪んだ選挙制度や行政制度の下で黙々と税金を払うだけの存在なのか。裁判にもマスコミにも私たちの声は全く届かぬ社会で、成果主義に追い立てられる働き蜂に甘んじるしかないのか。権力への反発力はどこにも見当たらないではないか、と。
参院選が終わって9月17日、音もなく施行された「国民保護法」を例に取ろう。電気、ガス、航空、鉄道、病院からNHK、民放まで160法人が戦時指揮権に従う「指定公共機関」に義務付けられた。当初異論のあったマスコミ界さえ反論はない。
1976年に決まった平時想定の「防衛計画の大綱」が集団自衛権の許容に向けて改訂されようとするのに国会に風波は立たず、君が代に起立しなかった教職員は処罰される。
しかし、戦前の軍国主義の時代と違い、半世紀の民主主義に馴染んだ日本社会は漠然とながらこの不条理に不安と不信を持っている。私たちはそのことに期待を持つ。
プロ野球のストライキに圧倒的な大衆が支持したのは、経営者という陣営の高圧姿勢に二分化社会の実相を見た公憤によるものに違いない。野球ファンだけの声援ではない。
いかに権力が強暴化しようと、これと拮抗する世論があれば高度情報社会の民主主義は保たれる。その世論を「世論力」と呼ぼう。いま最大の問題は3者の権力構造に向き合う世論力を構築することだ。 |
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4.高度情報社会の世論力 |
私たちが世論力運動の先頭に立とうと呼びかけるのは、私たちが上田哲を先頭に半世紀続けてきた世論運動の実績による。それは日本民主主義への熱い期待である。
首相官邸やマスコミに10円玉で電話を掛けるイエローカード運動は70万枚に達し、情報紙「百万の声」の刊行、国民投票法案の国会提出、最高裁との闘い、インターネットテレビ「無党派の声」など休みない運動は世論喚起で一貫してきた。
特に04年7月の参院選に若者たちの結集で上田哲の立候補を果たしたことは、権力が日本を「戦争をする国」へと転換する方針を明確にし、以後3年間、国政選挙の予定されない期間に究極の政冶日程へと踏み出す態勢を整えたのに対して、最も鋭く「戦争をしない日本」をと訴えた行動であった。
それは、不平等な選挙制度への最後の告発者としての意味も含め、権力の恣意と拮抗する高い世論の構築を訴えたものだった。
上田哲の不慮の緊急入院で選挙運動のないなか、16万余の得票が示してくれたものは、世論力の可能性と、運動継続へ選挙を闘った者の責任であった。
ここで私たちは高度情報社会の民主主義の確立を目指して「世論力テレビ」に軸心をおく活動を展開する。
わが放送局は既成放送局のミニチュアであることを目指さない。しかしアテネの熱狂や官邸内の記者会見の歯がゆいやりとりに鋭い論説を向ける視点を磨きたい。
それを可能にする発想は「一億総記者」である。記者は権力の端子ではなく、特殊技能者ではない。インターネットの双方向性はその展望を拓いた。 |
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5.3カ年計画 |
一億総記者論の放送展開は3カ年計画で一定の成果に達しようと考えるが、それには政治情勢からの緊急の課題が待ち受けている。
世論力の運動はここ3年の期間に必ず激突点に遭遇するからである。
上述のごとく、権力は露骨に日本の「国の形」の変更を求めてくるのであり、改憲〈自民)、創憲(民主)、加憲(公明)の圧倒的変更勢力は現憲法に規定する国民投票(私たちの言う国民投票ではない)法案を、次期国会に提出される。衆参両院の憲法調査会は05年5月3日、報告書を提出する。9条改変を明記する。
このような情勢を直視するとき、私たちは、その時、その流れに対峙しうる世論力を持たねばならない。
インターネットは今や無限の可能性を予測させる。同時に単なる情報連絡媒体でなく、それを集約、統合し体系的な情報システムと社会への有効な問題提起の機関とならなければならない。
これまで「無党派の声」は月1万以上のアクセスを受ける安定線に達していたが、今後半年で5万、1年後10万、3年後50万のアクセスを確保することをめざす。この力量を確保すればわが局は百万単位の発言の発射台として、権力もマスコミも無視できない社会的存在となりうる。2日で100万の署名を集めるアメリカ「ムーブオン」の例もある。
ここには新しい組織論が構築されなくてはならない。
このため、わが放送局は全国に3年間で1万人の「世論委員ネット」を張り、支局長、本部職員体制を整備する。1億総記者の実現である。
また、技術面の研鑽、充実に努めなければならない。営業面でも思い切った展開を図りたい。ご参加を広く歓迎する。
付言したい。今この運動に取り組むことの必然と切迫を実感する私たちは、長い課題の国民投票制度の導入も意外なほど近時点で決戦場を迎えることになるかも知れない期待も胸にするのだ。 |
2004年10月2日
1億総記者「世論力テレビ」常任理事会 |