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ここんトコのウラ日記 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2006.2月某日ウラ日記ミクシィへ引越します。ぢゃ!また会いませう!◇◆◇◆◇◆ |
原爆二世の宿命か? |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.11月某日戦場からの証言、こんにちは軍隊手帳◇◆◇◆◇◆ |
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▲見ろ!これが軍隊手帳だ! |
▲細部までの行動がギッシリ! しかもかなりの達筆! |
感動です。 戦場取材を始めて早一年。へタレながらも小生およそ30人強のジジ…いや元兵士の方の取材をさせて頂きましたがとうとうご対面です。 ←軍隊手帳! インタビュアーの元兵士井ノ口さんも感動!なにせ井ノ口さんだけでなく当時ほとんどの兵士は地域に関係なく、武装解除後、捕虜になる前に軍隊手帳をはじめ、書類や写真等の身元を証明するものを全て焼却してしまっている為、持っている人はめずらしいそうです。(終戦時兵士だった人) 保存状態もかなり良い 。背広の胸ポケット収まる。ベルトで閉じることが出来るし、ポケットもある、システム手帳といった感じでしっかりした作り。「ボクは燃やしちゃったよ〜ぉ…」と気を落とす井ノ口さんそっちのけでパシャパシャとカメラ小僧と化す が、しかし!旧漢字ばっかりで…読めません(泣) 隊の中でも書記にあたる人が全員の手帳に記入していたそうです。ある程度の学力は勿論、字がきれいでなおかつ見やすく、誤植なく欄内にきっちりと行動の詳細を書き納められる様にしなくてはならない為、かなりの労力が必要。戦場の新たな一面を発見(?) |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.9月某日新宿に響く歌声とある作家の死◇◆◇◆◇◆ |
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三ヶ月ぶりでございます… 解雇〜無職〜再就職+引越しとバタバタし、そんな気分だったりでHP更新・ウラ日記更新をサボりまくっておりました。 HPは相変わらずノロノロと改装案を試行錯誤中…?Y(;=o=;)Y 20時からネイキッドロフトでぴんきぃ&夏威辰徳のライブ、21時からロフトプラスワンで鈴木邦男・斉藤貴男・森達也トークイベントという、Wブッキングイベントに行ってみました。 ノーネクタイスーツ姿で直立・全身を引きつりながらも一心不乱 に譜面と格闘しながら熱唱するぴんきぃクン(失礼!)のソウルギガマックスの凄まじい歌声、傍らで一見クールにギターを奏でる夏威様の二人には毎度ノックアウト寸前で聞き惚れ、パンチドランカー並のショックを頂いております。 彼らがどんな音楽を生み出しているがはコチラでチェック!根生乃塾HP CDも販売されているので是非、一聴下さい。 21:45にロフト へ満員御礼の盛況ぶり。前の田原総一郎イベントの影響か? 創編集局長と斉藤貴男・森達也がトークを盛り上げる中、鈴木邦男さんはいつものように中華おこわをモグモグ、枝豆をパクパク…。 |
プラスワンのイベント終了後、写真家の平早勉氏に珈琲をご馳走になりながらショッキングなニュースを知った。作家の見沢知廉氏が死んだという。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.6月某日朝風の会:熱海で取材サバイバル◇◆◇◆◇◆ |
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毎度お世話になりっぱなしの朝風の会主催熱海温泉旅行(ハートピア熱海)にお招きいただいた。 |
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▲藤倉 勝三さん (1922年生:83歳) △1936年(昭和11年)応召 ▲陸軍・歩兵一航空兵(地上)歩兵 △728部隊歩兵として中国満州へ。 ▼1945年(昭和20年)12月シベリアのケーメルポ市にある捕虜収容所へ ▼1948年(昭和23年) 6月15日帰郷 |
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▲耐えろ!取材を続けろ! 〔ハプニング其の一〕 取材中朝風一行ご乱入! 宿泊せず本日中に帰ってしまうとの事なので、一足先に藤倉さんの取材を開始する。 取材も終盤を差し掛かったところ朝風の皆さんがホテルに到着。一斉に取材会場(会議室)に押し寄せる。 あぁ、画面に映り込んでるぅ、音声がぁ…。悲痛で顔が歪みそうになる。 幸いにも当方らの取材にかける怨念と退いてオーラを察知して頂き、早々に関を立って退場して下さいました。すいません、ありがとうございます。 |
▲総会を取仕切る谷田川さん 〔朝風の会総会〕 取材終了後行われた朝風の会の真面目な総会。 全国から集結した18名の会員(元兵士)らに混じり、若輩モノである小生らも同席させて頂いた。 次世代へと戦争を語り継ぐ為の運動もすでに17年を向かえ、二つ目の節目を迎えようとしている。会員の高齢化に伴い、今後の機関紙発行の存続の為、新規会員の増員&後継者問題である。 不戦兵士の会も会の存続するため戦後世代の会員を募った。朝風の会の同様の問題を抱えている。 |
▲やっぱ宴会でしょ! 〔ハプニング其の二〕 そんなに酔わせてどうするの! 取材、総会も終わり、さぁ…夜のお楽しみ!軽く温泉を堪能し宴の会に突入です。 ビール片手にお酌マシーンと化す営部は早々、天野さんに捕獲される。 総本部長・事務局長(それなりのお年頃の女性)は満蒙開拓少年義勇軍村西さんの勧めるままに浴びるほどの日本酒を呑まされ、総本部長撃沈…。 そんな各人の運命を尻目に小生はせっせと明日の取材相手の秋元さんらと談笑。平和な宴をすごしましたとさ。 |
行きの列車の車窓から熱海の薄暗い太平洋が見えた。 |
▲久田 二郎さん (1920年生:85歳) △ 1940年(大将17年)応召、第116師団工兵第116連隊(嵐)工兵 ▲常徳作戦で工兵、 湘桂作戦で 通信兵として参戦 △中国安慶、岳隊、常徳、衝陽と 中国大陸広域を行軍 ▽中国湖南省宝慶にて終戦 翌年7月、鹿児島に帰国 |
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▲秋元 実さん (1922年生:83歳) △1942年(昭和17年)1月。教育応召(白紙)により、野戦重砲兵第3連隊補充隊に応召。 同年4月教育終了後引き続き臨時応召。 ▲同年5月ラングーン上陸。 11月にはチモール島へ渡る。 ▲1945年8月16日に終戦を告げられる。9月チモール島からバンタル島、ロンブレン、アドナラ、フロレスと半死半生でスンバワ島に到着。 △昭和21年5月、復員船にて名古屋港に帰港。 |
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▲本郷 勝夫さん (1923年生:82歳) △1943年(昭和18年)11月召集 ▲陸軍・中支派遣軍第13師団鏡6815部隊 第一野戦病院(中国湖北省ケイモン) 衛生兵 △南京、徐州、ケイモン、武昌、漢口等中国二千四百kmにも渡る行軍を経験。 △中国湖北省 ▼1945年(昭和20年)中国湖南省・ライオウの第一野戦病院にて3日遅れの終戦を知らされる。 ▽1945年(昭和20年)10月〜翌年5月まで江西省長里湾の収容所に収監。1947年浦賀港帰国 |
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◇◆◇◆◇◆◇◆2005.6月某日戦場からの証言、多田さんもいっしょ◇◆◇◆◇◆ |
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▲事務所より広い石原さん宅 |
▲沖縄戦を語る石原さん |
▲右が多田さん、後ろは奥様 |
多田さんの」公園戦友会」の方の取材。あの、ノモンハン事変(1939年5月から9月にかけて、満州国とモンゴルの間の国境線をめぐり、実質的には両国の後ろ盾となった日本軍とソ連軍の間で戦われた短い戦争である。参加した軍隊は上記四か国のもので、モンゴルは、これをハルハ河戦争と呼ぶ。 また、日本軍がソ連の進んだ機械化部隊のために大敗した戦として、日本陸軍の愚劣さを象徴する事例にされてきた。五味川純平の虚構に満ちたベストセラー小説が、いつの間にか常識化してしまい、教科書にまで「ソ連は空軍・機械化部隊をくり出し、日本軍に死傷者二万人の壊滅的打撃を与えた」」(日本書籍・高校日本史)と書かれているほど。)に砲兵隊部隊長として参戦、その後沖縄戦線にも参戦したという経歴の持ち主。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.6月某日イベント打合せ2部構成◇◆◇◆◇◆ |
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▲何の集団?微妙な組合せ |
▲すきずきで好き好きに呑む |
鈴木さん曰く、「わざわざ事前に打合せなんて面倒…」(この○×△…) そんな司会者の戯言を無視し、7月12日に開催する我が戦放保会企画、「日本鬼子」上映会の事前打合せを決行。 鈴木&野花嬢ペアはロフト最新刊の取材が終了し、そのままルノアールで待機していた。 打合せ定刻の5分前にメインの松井監督も登場。電話では何度か話したことがあるものの、会うのは初めてなので自己紹介交じりの挨拶を交わす。 前日鈴木さんと「前会った時、下駄だったけど、松井さんまた下駄で来るのかなぁ?」と言っていたので「下駄はないでしょう、何言ってるんですか!」と会話したのを思い出し、失礼ながら監督の足元が気になった。下駄だった。マジだった。 そんなことはともかくとして打合せ。 |
※松井監督より「日本鬼子」短縮版の編集終了の連絡あり、104分との事です。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.5月某日戦場からの証言:取材陣多すぎ…◇◆◇◆◇◆ |
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▲うまく噛み合わない人たち ▲取材同行最高記録樹立 ▲今日の主役、白水さん |
戦場からの証言の取材。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.5月某日韓国MBCが来たのだが…◇◆◇◆◇◆ |
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▲事務所はかなりギュウギュウ! ▲逆に取材される図 ▲3無書、この日のために筆を取る |
来た、韓国MBCTV 。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.5月某日60年間渡る元兵士達の望郷の想い◇◆◇◆◇◆ |
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大使館員が2人と面会 元日本兵か、比ミンダナオ
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▲戦場体験放映保存の会総会で 来賓挨拶をする谷口さん |
ミンダナオ島といえば、先日取材した谷口さんが上官とトラブルを起こし、中国戦線から転属(左遷)されてしまった島。 谷口さんの証言では、1945年6月下旬には銃弾も食料も尽き果て、もはや大隊を抱えきれなくなった指揮官は、 「東条(英樹)が大艦隊を引き連れて応援に来る。そうしたら、我々陸側の隊と海から上陸する応援部隊とで敵軍を挟み撃ちにする。それまで各小隊ごとに分散し、自活しながら待機せよ!」 との命を下す。一時分散・待機という名目で多くの兵士が未知のジャングルへと放り出された。谷口さんは6人の部下と餓死線上の状況で山岳ジャングルを彷徨う。飢餓に苦しみ、食料を奪い合うために日本軍兵士同士が殺し合う。人肉まで食べながら生き延びる兵士等、耳を疑いたくなるほどの壮絶なサバイバルが繰り広げられたミンダナオ島。現在、ミンダナオ島に元日本軍兵士が50人程いるという事だが、帰国したら「軍法会議」にかけられるのでは?という恐れを抱き続けてきた彼らの心神へ徹底的に叩き込まれた「軍国主義」というモノに恐怖を感じた。 彼らの60年間にも渡る祖国への望郷の想いに対し、「帰って来い!」としか言えない。 ※このミンダナオ島元日本軍兵士事件について早くも東京新聞から谷口さんへの取材依頼がきた。本人も快く取材に応じるとの事。 ※パートU東京新聞5月28日(土)に谷口さんのコメントが掲載されてます。 ※パートVいまさらデマっていう噂が飛び交ってますが… |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.5月某日常連さん◇◆◇◆◇◆ |
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▲いつもおしゃれ! |
ある昼下がり、ピンポ〜ン♪とチャイムが響く。ドアを開けるとそこには多田軍曹が…。本当に今度こそ奇襲です。ビックリしました。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.5月某日哲塾&総会本命打ち上げ…◇◆◇◆◇◆ |
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哲塾第一期も5講義目。お粗末なボロキレ政府によって覆いを被されてきた戦後直後からの日本近代史。その覆いを取っ払いながら一つずつ史実を解明していく哲塾第一期は、いよいよ現代、グランドフィナーレに近づきつつある。 技術局長不在の為、撮影を一人でやる羽目に。厳粛な講義が進行中、設置している2台のカメラ間をハツカネズミのように徘徊。ウザかったに違いない。 案の定、講義が断片的にしか判らない。 なんとなく印象にあるのが、田中角栄、中曽根みたいな世間で言う目立ったやつではなく、居たか居ないか判らないヤツが首相の時に厄介な種が蒔かれるようです。(勝手な感覚租借) 国民が馬鹿なほど政治家は旨味あるのお仕事、票はパパからそっくり相続できるし、企業とつるめば人生バラ色! 思わず渋谷の中心で「昭和維新の歌」を熱唱したくなる今日この頃。 来月の第一期最終回では、絶望の中から光を見出すことができることを祈るばかり。 また、哲塾第一期生がまとまり、戦場体験保存活動に何らかのアクションを起そうと構想中! 哲塾、終了後。一旦事務所へ、 先週開催した戦場体験放映保存の会結成総会の打ち上げ(大本命)を渋谷赤からにて決行。 参加者: 副代表、全国総本部長、事務局長、事務局次長、事務局次長 長長だらけぢゃ…「バタフライファミリー」とでも名付けるか。 会場にエントリーされた「赤から」は名古屋に本店があり、名古屋名物八丁味噌のスープがベースとなっている「鶏鍋」。たっぷりのもやし、油揚げが入っている、1〜10まで辛味のランクがあり、3が基本、10を完食したら店内に写真が掲示され晒し者になれるらしい。 「3」(副代表、事務局長)と「8」(全国総本部長、事務局次長、事務局次長)を注文。 スタッフは余っているほどいるのにビールが来ない。枝豆だけ出されても…。 酒のオーダーは早めにしなければならない!とインプット。 ワインはグラスでチマチマオーダーなんかしてられない!デキャンタだ! グラスモノは来たら間髪入れず、次のオーダーをねじ込め!こうなると給仕のおねいさんとの戦いである。 戦場体験放映保存の会総会、新聞社からの取材を経て、客観的な意見を投げかけられたことによって、これから先強化すべきこと、見落としていたことが見えてきた。これからもこのように日進月歩変化していく組織がうまく回転できるように、流動的な対応が求められる、日々の精進を怠ることが出来ないと、現実が心を突き刺す。 美味しい鍋に舌鼓、酔いも回ってだんだん話題も砕けてきたころ、沸き立つ好奇心から、副代表(グラサン:いつもジャージ姿の出版会社社長)と事務局長(ふちなしメガネ:いつもスーツ姿の営業マン)のメガネを交換して、メガネにおける人間の印象について検証してみることに… ←見ればお解りのように、大変興味深い結果が生み出されました。 副代表(左):普段発しているカリスマオーラを見事に消去。そこらに漂っている人畜無害なただのオッサンへと変換することができました。 事務局長(右):満面の笑みが…不憫でなりません…。その場では「タクシーの運ちゃんみたい〜」と 言いましたが、アヤシイ…一歩外に出た途端、機動隊に取り囲まれる可能性100哲。某国の特殊工作員か! 素晴らしい実験でした。是非、学会(あれば)で発表したいと思います。 終了後、飲酒後なので軽めに銭湯へ。帰り、近所にオープンした居酒屋へ。おしゃれではあるが品揃えが弱い!やはりカタカムナだな。深夜、カンヌ映画祭出品作「バッシング」に出演、カンヌ遠征帰りの本多菊次郎先生より、召集あり、打ち上げと重なり、本多カンヌ報告会に欠席したので召集に応じ、新宿で三度呑み。肝機能かなり低下。 |
▲赤から鍋辛度「8」 ▲ただのオッサンと某国の工作員 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.5月某日東京新聞がやって来た◇◆◇◆◇◆ |
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▲日常から反転、取材される |
TNP曰く、「新聞じゃない」東京新聞が戦場体験放映保存の会の活動について取材にやって来た。 |
▲お茶菓子が高品質(当社比) |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.5月某日結成総会後…◇◆◇◆◇◆ |
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▲とりあえず目入れとくか! ▲ダルマとして認められました。 |
七転八倒しながら準備を進めた戦場体験放映保存の会結成総会! |
◆◇◆◇◆2005.5月某日戦場体験放映保存の会ワールドワイドになってきた?◇◆◇ |
戦場体験放映保存の会結成総会の直前からなにやら騒がしい。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.5月某日戦場体験放映保存の会ブログスタート!◇◆◇◆◇◆ |
とうとう「戦場体験法会う保存の会」がやってのけました。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.5月某日軍曹再び…◇◆◇◆◇◆ |
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戦場体験放映保存の会総会の前日。前夜の雨のせいか、若干肌寒い。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.5月某ここに住む気かオマエ!?◇◆◇◆◇◆ |
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戦場体験放映保存の会総会を目前に慌しく空回りばかりの日々が続く。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.5月某日小山市の中心で天野が吼える◇◆◇◆◇◆ |
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名古屋出張から1日明け、二度目の栃木県小山市。先月「戦場からの証言」取材をした朝風の会、会員天野さんが地元で開催される「9条を守る平和の集い」にて講演を行うのでご招待いただいた。谷田川さんもご一緒です。(ドキドキ) |
▲田中正造カレンダー微妙に欲しい |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.5月某日佐藤お蔵入りか?!◇◆◇◆◇◆ |
4月下旬にどうにか小生初の編集を手がけた佐藤貞さんの映像が上がったのだが、すでに佐藤さん本人がビデオ製作中との情報が入る。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.5月某日関東圏脱出!名古屋で取材だみゃ〜!◇◆◇◆◇◆ |
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とうとう、戦場からの証言取材班、中部地方制覇開始! 前夜まで、深夜バスで行くか?立ち覚悟でのぞみ(自由席)で行くか?JRの思惑にまんまと乗せられてひかり(指定席)で行くか?散々迷った結果…JRの陰謀に負け(ToT)ひかりで名古屋へ。 奈良に帰省中の営業、谷田川氏そして本日の取材者近藤氏御用達のビジネスホテルで゙合流。 ホテル内の会議室で撮影開始。多少外からの音が気になったのだが、撮影を進めるうちにそんな事を上回るアクシデントが起こるとはこの時思いもしなかった… 近藤一さん(大正9年(1920年)生) △現役徴兵1940年昭和15年12月2日(20歳) ▲陸軍独立混成第4師団石、第13大隊第2中隊 兵科:歩兵 階級:伍長 △主な戦地:中国(山西、河北、河南)、 沖縄 ◆1941.04 石太線警備 ◆1941.12 省都大原市警備、山西、河北、河南へと転属。 ※太平洋戦争の開戦 ◆1944.08 上海より沖縄本土へ上陸 ◆1945.05 沖縄戦突入、独立歩兵第13大隊全兵員、1200名、敗戦後生存者はわずか92名、 近藤さんはその中の第2中隊に所属。生存者11名のうちの1人である。 ▲沖縄にて昭和20年6月に降伏、米軍捕虜となる。翌年1月、帰郷。 撮影時間の最長記録樹立!11:30から始まった取材、終了時刻はなんと16:30。5時間にも及ぶ長丁場。 ひたすら、忍耐です。聞き手といえども体力勝負。爺達に負けるわけにはいきません! 近藤さんは日本軍の加害証言を法廷の場で初めて証言。兵役中は、中国戦線と、激戦地沖縄での2つの戦場を体験。 中国戦線ではどの地域であるのか知らされないまま、初年兵であるがゆえ、古参兵の分の荷物まで背負い延々と大陸を歩く日々が続いた。そして… 「生きている中国人を的に、初年兵は銃剣の訓練をさせられた。人間の身体は硬いと思っていたが、銃剣はまるで豆腐を刺したかのように抵抗無くにスゥーっと入っていった。銃剣を引き抜いた途端に鮮血が飛び散った。 そうして死んだ中国人は村の片隅に掘られた穴にどんどん放り捨てられ、夜には野犬が死骸を貪り食って、暗闇の中で遺体がガサゴソと動くさまを見た時はゾッとした。 行軍の途中で立ち寄った村では、輪姦目的で拉致した中国人女性を逃げられない様に裸のまま縛り、大隊と共に連れ回した。」近藤さんは懺悔交じりに語りだした。 軍の徹底した階級制度と、戦場での壮絶な光景を目の当たりにするにつれ人間性は失われていく…声を震わせながら語る姿は自己満足だけの懺悔話ではなく、あの時の場景を遺さなくてはならないという気迫によって語り続けられていく。 沖縄での戦闘では、兵士自ら「肉迫弾」となりアメリカ軍戦車の死角へ爆弾を爆破、戦車の動きを封じる作戦では殆どが自爆、別の戦車から砲撃を受けて戦死、生存者は僅か1名きり。戦友が「じゃあ、行ってくる」と言い残し「肉迫弾」となり、二度と戻っては来なかった… 戦死した兵士の上をアメリカ軍の戦車が踏み引き、遺体はグチャグチャに潰されていく。地獄だったと語る。 追われるように沖縄を南下し続け、6月20日仲座にて第13大隊玉砕、6月23日第32軍司令部玉砕。 近藤さんは米軍に投降した。 何度も号泣しながらも戦場での体験をさらけ出した近藤さんは、戦場の末端で何が起こっていたのかの事実を、推測に過ぎない戦場論でしか戦争を知らない世代に知ってもらいたい。と日々、みずからの体験を語り続けています。 何度も涙ぐむ悲劇的なシーンがあり、ふと、横目で谷田川さんを見るとなんと谷田川さん爆睡! 話のクライマックスを迎えようとしているその時… 「ピーッ、キュルキュル、ジィーウィンウィン…ザーッ、ガシュ、ゴーッガー」 撮影中です!自分の撮った映像チェックをしないでぇ、谷田川さん!もう、誰もツッコメナイ |
▲丁寧に作成された地図。凄い! |
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◆◇◆◇◆◇◆2005.5月某日撮影終了!名古屋で打ち上げだみゃ〜!◇◆◇◆◇ |
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▲無理がありすぎるモリ&キッコ |
▲みそ煮込みだみゃ〜! | ▲五臓六腑に染みる一杯! | ▲金シャチ無しの名古屋城… |
ノンストップでの取材は4時過ぎにようやく終了。かなり遅めの昼食を近藤さん谷田川さんらと一緒に、地元の美味をと思いましたが、すぐ後に「戦場体験放映保存の会」名古屋支局(ステーション)の打合せも控えていた為、結局「蕎麦」となりました。 近藤さん、谷田川さんらと別れ、1時間後に伊佐治氏のオフィスで軽く「戦場体験放映保存の会」の今後の展開についてのミーティング。 とにかくネット上だけではなく証言ビデオを多くの人と一緒に見て、戦場を知るキッカケを作る為の上映会の開催を薦めたり、証言者(老兵)探しの協力要請。 と、まぁ、大体一通り説明も終わったところで…「行きますか?」「行かれますか!」伊佐治氏と共に夜の名古屋へGO! 「煮込み煮込み、煮込みぃ〜」という訳で、夕食は味噌煮込みうどんに決定!紹介してもらったお店は、なんと漬物おかわり自由!素晴らしい!ビール美味! しかし、事務局長の体調が悪くなってしまい、急遽、ホテル探し。当然朝まで呑むか!と思っていた為、ホテルなど手配無しだったのだが、地元に詳しい伊佐治氏がホテルを案内してくれたおかげで部屋を確保できた。 ダウンした事務局長を部屋に放り込み、伊佐治氏、営部、小生で本打ち上げ(呑)へ繰り出す。一軒目の割烹居酒屋では、営部の眩い青の携帯が余程気になったのか隣りの席で呑んでたお客さん(おにーさん)にナンパされ、案の定、年齢ネタでもってかなりイジリ遊ばれている。何処に行ってもイジられキャラだコイツ。とりあえず小生は伊佐治氏接待を続ける。伊佐治会談が落ち着いてきたのでようやく小生も営部イジリ遊びに参戦する。おにーさんに「戦場体験放映保存の会」をぬかりなく宣伝。好い気分になったおにーさんより「中々」をご馳走になる。 2軒目は伊佐治氏が「出席スタンプ押さなきゃ!(?)」との理由で伊佐治さん皆勤賞のカラオケパブへ。 なんと、 伊佐治さん用曲目リストまである。かなりの上客と見た。 この段階でアルコール指数90哲、記憶が曖昧に。相変わらず年齢ネタで遊ばれている営部をよそに伊佐治さん熱唱!小生真面目に焼酎摂取!こうして名古屋の夜は過ぎていった…。 翌朝、復活した事務局長らとともに朝食。名古屋のモーニングセットで「トースト、サラダ、茶碗蒸し」 というミステリアスな組合せに釘付け。オーダーする勇気と冒険心がない控えめな我々はフツーのモーニングを食す。 観光でもしようかと、とりあえず名古屋城へ、しかし、名古屋城、金シャチが乗ってない!なんでも一匹、万博へ出稼ぎに行ってしまっているらしい。取り残されたもう一匹は金シャチドームという名のホッタテ小屋に、庶民がお触りできるように鎮座しているようだ。「金シャチお触り待ち時間30分」と掲示されている。 列に並ぶと空しくなりそうなのでパス。名古屋城上って城下の風景を眺め、そそくさと名古屋観光終了。 帰り間際、タクシーの運ちゃんに「美味しいきしめん屋さんってご存知?」と聞いたら「きしめん屋さんってのは無いです。そば屋かうどん屋にきしめんってメニューはありますけど…」どうやら、「天ぷらそば屋さんは何処ですか?」と聞いていたと同レベルの「すっとこどっこい」愚問だったようだ。 運ちゃんに適当な店で降ろされ、してやられた感じのまま「きしめん」をかっ食らって我々の名古屋出張は幕を閉じた。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.4月某日黄金週間は多田さんから始まる◇◆◇◆◇◆ |
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▲ふらっと遊びに来てみました |
行楽だぁ!バカンスだぁ!と世間のウキウキムードからチョイ外れて、「戦場体験放映保存会総会」に向けての準備にまったりと準備に追われるGWになりそうな雰囲気全開。転々とため息が漏れる渋谷事務所。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.4月某日朝風編集長谷田川家訪問◇◆◇◆◇◆ |
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▲改札を出た途端に満開の桜 |
▲たらの芽の天ぷらは絶品! | ▲夫婦仲良く天ぷらを揚げる | ▲はい、チーズ! |
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◇◆◇◆◇◆◇◆2005.4月某日バースデーパーティー◇◆◇◆◇◆ |
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▲カンパーイ! |
▲お誕生日おめでとう! |
会議後、「哲直言」収録。が、銭湯に行っていた為、見逃す。残念! 前日に27歳の誕生日を迎えた営業シミズ、自分の誕生日を以前から強くアッピールした甲斐があり、お誕生会を「魚の隠れ家しめしめ」で開催することに。 まだ自分の誕生日が嬉しいお年頃なのか「もう、27になっちゃいました!」との発言に「“もう”だとぉ!」三十路を超えた面々の怒りを買いまくる。普段だったら制裁を下すけど、今宵の主賓だから、寛大に受け流す。大人ですね。 お魚三昧の料理も美味しく、皆お酒がススム。 しかし、案の定、痛飲。3品目以降の記憶が全く無い…。 菜の花の炊き込みご飯を思い出せないのが悔しい。数々の暴挙が店員のおニーさんには大ウケ。終いには靴を忘れ、靴をおニーさんに運んでもらって、またも大ウケだったらしい。飲酒時の記憶が飛ぶ様になって老いを感じる今日この頃。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.4 月某日哲塾前夜のたたかい第四夜目◇◆◇◆◇◆ |
上田先生が哲塾とテーマに最新著作「の執筆に取り掛かりました。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.4月某日戦場からの証言取材◇◆◇◆◇◆ |
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撮影時間4時間強、史上最長記録の樹立です(当社比) |
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