番組|ニュースの正体|1億人の声|上田哲の直言| |わが社の社会貢献プログラム|戦場からの証言| 情報|イベント|お知らせ|お役立ちデータバンク&リンク| |国民投票制度実現へ|メルマガ|哲塾| 世論委員|世論力宣言|私達について|世論委員会議室| |世論委員募集|TOP| |
2004年12月から2005年3月末日までのウラ日記 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.3月某日塩見塾◇◆◇◆◇◆ |
何だか塾続きです。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.3月某日右翼に言論の自由はないのか?◇◆◇◆◇◆ |
26日午後2時50分ごろ、東京都世田谷区砧1の明治神宮宮司、外山勝志さん(72)宅敷地内に男が侵入し、玄関などの窓ガラス3枚を木刀でたたき割った。男はその後、近くの交番に自首した。警視庁成城署は建造物侵入と器物損壊容疑で取り調べている。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.3月某日3月危機◇◆◇◆◇◆ |
取材が終わり、急いで渋谷事務所へ。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.3月某日はるばる、来た(北)かんと〜(関東)◇◆◇◆◇◆ |
|
▲結構資料魔だった天野さん | 湘南新宿ラインのおかげで乗り換え無しで1時間20分程で取材先の栃木県間々田駅に着く。のどかです。 若干早くついたのが何もせずイイ若モンが三人改札口でボケ〜っと突っ立って今日の取材相手天野さんを待つ。先週に引き続きまたしてもチャリでお出迎え。皆元気だ。 お宅の応接間にて取材開始。椅子をどかし、完璧なカメラセッティングと思ったつもりが…失敗した。陽が傾くにつれ段々天野さんに光りが差していく、完全にカメラと取材者の位置が逆のセッティング。最悪。 天野道有さん(大正12年(1923年)生) △20歳の時現役兵として入隊 ▲陸軍第378連隊・航空通信隊・桑田中隊 栃木県小山市在住。朝風の会所属。また、積極的に評論などを投稿する等、多方面で御活躍されています。 満州ハルピンにて終戦を迎える。その後、ソ連軍に拘束され、シベリアの捕虜収容所で4年間、 強制労働と飢餓、収容所内において上官や古参兵らによる同じ元日本兵による階級差別に苦しむ。 昭和24年7月2日舞鶴港に入稿、7月7日郷里に帰還 。 |
初年兵のうちに終戦を迎え、そのままシベリアへ |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.3月某日静かな週末のはずだった◇◆◇◆◇◆ |
気合いを入れて金曜日は仕事終了後渋谷へ直行。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.3月某日たまにはまじめにお仕事です◇◆◇◆◇◆ |
|
▲熱い情熱で語る谷口さん | 日曜日の昼下がり。個性の強い商店がバランス良くひしめいている吉祥寺に着。取材を行った。 わざわざ駅まで迎えにきてくださった谷口さん。しかもチャリで…。頼もしい限りです。 谷口末廣さん (大正9年(1920年)10月19日生) △1942年1月10日(22歳)現役兵として入隊 関東軍10師団輜重10連隊、満州・佳木斯(じゃむす)に駐屯 ▲1944年6月、中隊長とのトラブルが原因で、同連隊より唯1人第133飛行場大隊補給中隊に転属、フィリピン・ミンダナオ島に送られる。 ▲1945年6月下旬には弾も食料も尽き大隊は解散、6人の部下と餓死線上の状況で山岳ジャングルを彷徨う。 1945年9月30日投降 1946年12月25日帰国 |
満州に配属されたものの、隊の中隊長とのトラブルが発生。反感をかった為、死刑宣告とも言える「南方」転属を命ぜられる。 思い出したくも無い過去を語るのはさぞ辛い事でしょうなどと安易に知ったかぶりは出来ない。しかし、 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.3月某日フィールドワーク(売り込み)◇◆◇◆◇◆ |
|
▲ビーグッドカフェイベントにて 壁面いっぱいのスクリーンに 映し出される藤岡さん ▲ビーグッドカフェイベントにて とりあえずオーガニックカリー |
ビーグッドカフェという環境保全・フェアトレード系エコロジカルなコミューン(?)のイベント 撫順の奇跡を受け継ぐ会主催イベント「いま歴史を問う」になだれ込む。こちらはビーグッドカフェよりもずっと私たちの運動に近いためか引き込まれた。講演会が主ではあったが戦争当事者と実際、教師をしている傍ら、元兵士の聞き取りをビデオに記録しているご婦人(私たちと同じで共感!お師匠!)のお話もあり、前半は60年前の戦争。後半はイラク戦争において今だに続く、日本の自衛隊派遣による戦争加害者という立場と責任について。の2本立て。 今昔の戦争に対する価値観の変化と、いつの時代であっても変わらない戦争の悲劇をまずは己に問いかけてみよう!という地道に努力を重ねる主催者側の平和への願いに対する意識の高さに頭が下がるばかりです。見習おう。 残念ながらスタッフの方とはコンタクトは取れませんでしたが後日丁寧で私たちについて好感触な印象を持っていただいたという内容のメールを頂きました。早速次回のコンタクトを撮らねば!お互い協力できれば最強。 ※ちなみにこの会場で去年「日の丸・君が代強制に対する被処分者の会」の元教師の岡田氏、「戦争を語り繋ごうメーリングリスト」のオフ会で新宿戦場遺跡ガイドをしてくださった長谷川氏と偶然遭遇、両者とも取材はしたが編集がまだ停滞している為、少し気まずかったのですが、にこやかに談笑してくださいました。不思議な人との縁をしみじみ感じます。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.3月某日哲塾第一期:第3講義目◇◆◇◆◇◆ |
|
▲わざわざ鹿児島から哲塾に参加された市議会議員の野口氏 |
三回目にしてようやく雪・雨を免れ、晴れた。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.3月某日どーんとまとめてお送りいたします◇◆◇◆◇◆ |
|||
哲塾前夜の闘い〜第三夜〜 |
|||
▲美味しいカリー(^O^) |
▲無残に切られたケーキ(TwT) |
▲ホワイトデー収穫其の弐 |
▲ホワイトデー収穫其の参 |
土曜日はカリーの日 ホワイトデー |
|||
▲ノリに乗ってる沢口さん |
ニセワッペイと本物和平のガチンコ対決! トリックスターで鈴木邦男さんと「光の雨」著者立松和平氏による「連合赤軍」トークイベント。 立松和平と言えばトリックスター社長プロデュースのコント集団「ザ・ニュースペーパー」で渡部さんが毎回モノマネをやっいるあの立松和平である。モノマネしか見た事がなかったのでとうとうホンモノが見られるのねとワクワク。 オープニング やっぱり立松(渡部)ワッペイさんの登場!気持ち緊張ながらに本物和平さんを紹介。立松さんは渡部さんに生暖かい一言二言を贈り、イベントの幕が開けました。 私も活動は多少なりともしていた。しかし私は彼等と同じ列車に乗りながら途中下車してしまった。途中下車していく者が続出する中、彼等だけが終点まで列車に乗っていた。ただ、その終点が誰も思いつく事もできない悲劇であった。 私は「連合赤軍」と同じ時代に同世代として生きていた。作家としてこれ(連合赤軍)は書かなくてはならないとずっと思い続け、資料を集め地道な努力を重ねながら「光の雨」を完成させたと聞いて、思わず「感動です。(ワッペイ風)」とつぶやいてしまいました。 その後塩見孝也氏も乱入(?)盛り上がりました。立松さんは今、15年戦争の中国戦線の通信兵をモデルにした新作を製作中との事を聞き「えっ、佐藤さん?」と思わず自分が今編集中(停滞中)の佐藤禎さんかと思いましたが他の人のようです。(通信兵と聞いて佐藤さんしか思いつかなくなってしまった…)平和と自然を愛し、不戦の兵士について熱く語る立松さんに是非ウチの事を知って頂かねば!帰ろうとする立松さんを呼び止めて早速「戦場体験放映保存の会」「戦場からの証言」について軽く説明。ビデオを後送するとお約束して名刺交換。 立松さんが帰ってからも鈴木さん、塩見さん&ロフトの平野さんも加わりの熱いト−クが続く。思わぬ収穫もあり、お腹一杯でした。 |
||
青い部屋反戦ストリッパー沢口友美さんのイベントに行く。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆2005.3月某日ピースリレー「『東京大空襲』を学ぼう」◇◆◇◆◇◆ |
ピースリレー100本の道をつなぐ会(2005年3月10日〜2005年9月11日「東京大空襲」から「911」までを、戦争の痛みを負った過去から、現代をたどる期間として、期間中全国各地で行われる多様な平和・反戦運動を各人が思い、歩くさまざまな道という意味で「100本の道」(多様な道)を地域から地域へ、人から人へ、リレーのようにつなぐ運動を目指す会)で行われれるイベントに同行。 |
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆2005.2月某日オフショット:上田哲生誕XX周年◇◆◇◆◇◆◇◆ |
||
よりによって2・26生まれとは、運命的なモノを感じます。確か野村秋介氏の誕生日がバレンタインデー。事件や記念日に誕生日の人って結構いるんですね。 |
||
▲大福に灯るのは希望の光か? |
▲女性からの花束のプレゼントに笑顔! |
▲願い事を込めてロウソクを消す図 |
◆◇2005.2月某日:シーレーンから2+2へ哲塾第一項第二回目開塾! | ||||||
|
◆◇2005.2月某日:ど〜んとまとめて贈ります!表もボチボチと…? | |||
|
◆◇2005.2月某日:「ジャパネット…いや、ジャパンネット銀行口座開設」 | |||
|
◆◇2005.1月某日:静かな週末、嵐の前の静けさか? | |
|
哲塾から一週間明けました。 戦場体験放映保存の会の会員証&角判がようやく出来たので発送作業。 哲塾終了後、 営業ぶちょーを初めスタッフ皆お疲れモード。上田先生に至っては、哲塾、百万の声編集とかなり短期集中にエネルギーを消耗したため、かなりお疲れのご様子。声がワントーンほど下がっているようです(当社比) 次回の哲塾に備えて今週はまったりモードで仕事を進行する事に。 町田へ急げ!! 前回取材した村西氏んP所属する「朝風の会」の会報の編集を手がけている 谷田川氏へお話を聞きに旅立った。独りお留守番寂しい…。 谷田川氏とお話できた委員の報告を聞くとご夫婦揃って平和運動に携わっているという様子が感じられます。 特に奥様の采配ぶりは素晴らしいらしい… お土産は…ラブレターフロムシベリア捕虜収容所 谷田川氏では新たに2名の取材が撮れそうになりました。 戦利品はそれだけではなく シベリア収容所から家族に宛てた手紙やノートの数々!凄い!日頃見る事のできなかっら貴重な資料を拝見できました。 みんなで見ました!満蒙開拓青少年義勇軍アニメ「蒼い記憶」 先日取材した元満蒙開拓青少年義勇軍の村西さんより届いたアニメ映画「蒼い記憶」ビデオ鑑賞。 |
◆◇2005.1月某日:「哲塾:後編〜メルマガに越されました〜」 | ||
▲教室でやりたかった理由… ▲芸術的な(自称) 日米安保60年の軌跡完成! (いえ、本当にすばらしいです!) ▲おぉ〜!(すいません流用で) |
PCの具合が悪く、四苦八苦している間に「哲塾」報告がメルマガに越された。悔しい…。 |
|
とにかく、驚きと驚愕の連続で哲塾は始まりました。 しかし、 一ヵ月後の第2回目までに、講義ではサラッと受け流され全く詳細に触れていなかった膨大な資料ををきっちり読み込まないと、次回へ進めないと判明。 「哲塾」 はあくまでも予習の場所。次回の「哲塾」までに各々資料を読み込み、知識と見識力を身に着けなくてはならないのが本授業である。(恐ろしい…) 早くも半年後の第一期修了までの生き残りをかけたサバイバルゲーム の雰囲気です。がんばりましょう。 |
||
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆今日のオフショット◇◆◇◆◇◆◇◆ |
||
哲塾後、会議。結局この日、天気予報は外れ雪にはなりませんでした。 |
||
プレミア研修の巻 |
◆◇2005.1月某日:「哲塾:前編〜とうとう始まる!〜」 | |
▲さあ、始まった!
ワクワク ▲ベルベデーレで撮った銅版だ! ▲おぉ〜! |
前日からの雨がまだ降り続けている。天気予報では雪になるらしい。
|
◆◇2005.1月某日:「哲塾前夜のたたかい」 |
「どうしても教室でやりたい!」 上田先生はそう断言した。すでに勤労会館は空きが無く、30名近くを収納(?)できるのはルノアールの大会議室しかないと考えていたが 「そんなとこでやれるか!」とあっけなく却下。 一気に血の気が引いた。しかし、刻一刻と哲塾の期日は迫ってきている。半分泣きながら解決策を模索していると… 「日本デザイナー学院の教室が手配出来たからそこでやる」 気を取り直し、れじゅめ作成 |
◆◇2005.1月某日:「世論委員会議と上田哲の直言収録」 | |||
|
◆◇2004.12月某日:「取材:戦場からの生き残り証言」 | ||||||||
|
◆◇2005.1月某日:あけましておめでとうございます。世知辛い世の中ですが、今年も宜しくお願いもうしあげます。 |
◆◇2004.12月某日:仕事納め? | |||
|
◆◇2004.12月某日:「世論委員会議:戦場体験放映保存の会発足」 | ||||||||
|
◆◇2004.12月某日:「世論委員会議」 | |||
|
◆◇2004.12月某日:「上田哲の直言」収録 | |||||||
|
◆◇2004.12月某日:「日の丸君が代:被処問題」取材 | ||
|
◆◇2004.12月某日:エコプロダクツ渉外・営業活動 | ||||
|
◆◇2004.12月某日:「戦場の生き残り証言」取材 | ||||||
|
|ページトップ| |